Pure Nation (2018)

構成・演出:あごうさとし
出演:仲正昌樹(法哲学者)、倉田翠(ダンサー)、ラッキー(犬)

2018年3月3日(土)~3月4日(日) 会場:こまばアゴラ劇場

男と女と犬がいる。どうにも話が通じないので、互いの体がどういうものか、伝えようとしている。
伝わらない。伝わらないということが、2人のストレスになっている。ストレスは、また、人の体に動きを与えるらしい。
その動きは、2人が語っていることと、関係することもあれば、全く別な事を語っていたりもする。たぶん、2人に
とって確実なのは、指先、息などの感触の他、血の流れや、鼓動、胃袋の音くらいだろう。そんな2人でも、相手を
失うと、また他の誰かを求めることになる。なぜなら、反射してくれるものがないと、器官を制御できなくなるからだ。
それは、それで、犬とか、別の生き物になればよいという話もあるが。たまたま、今回は、男が奈落に落ちる。


この10 年ほど、腎臓を患っている。幼少の頃に、やった病気が30 を過ぎた頃に再発した。全身の浮腫と怠さが、主な症状だ。酷いときは、全身がむくみ、例えば足の裏も丸くなるので、丁度、ダイエット用シューズの靴底のようになる。
まっすぐ立つのも困難な状況が生まれる。腸が膨張するときには、内臓の形に添って、ナイフで縦に切られるような、激痛が走る。痛みの動線を追うことで、臓腑の造形を測れるような感覚がある。
往々にして、病は表層の意志とは無関係に発動するので、モーションもまた、それ
とは、無関係に生み出される。
この身体内的な力学は、一見、それ自体で自立しているようにも見えるが、実のところ、外的なものからの影響を受けて惹起する対話だと思う。愛している人の、かさついた指。骨のゆがみのある友人。足をひきずる恩師。
それを模倣し体感することで、その人を、自らの体をもって理解できることもあれば、全くできないこともある。
この対話は、人間の枠をこえることもあるかと思う。普段、見過ごされるような、または、敬遠されるような触れあいが、男と女と犬の間で取り交わすことができればと願う。
(当日パンフより引用)


■スタッフ
舞台監督:浜村修司 / 照明:川島玲子 / 制作:芥川実穂子 /宣伝美術:吾郷泰英 /記録撮影:平澤直幸
主催:有限会社アゴラ企画・こまばアゴラ劇場/協力:一般社団法人アーツシード京都、あごうさとし事務所