JE SUIS CHARLIEの渦。2015年1月11日

11日日曜日、この日は15時にNanterre-Amandiersにて、フィリップケーヌのLa Melancolie des Dragonを観劇の予定であった。しかし、9日の劇場から11日はデモに参加するために上演時間を12時にするとのメールが入った。こられない場合は、他の日に予約を振り返るから電話してほしいとのことでした。この度のテロの脅威に対して、アーティストと劇場は鋭く反応しているのことに、驚きと共に、敬意をはらいつつ12時にナンテールを訪れた。昨晩、大家さんにお茶に誘われて、シャンペンを頂いた後から、また急に体調が悪くなり、体のあちこちが痛みを覚えて、うまく眠れず明け方よやく就寝できた。ちょっと、無理かなと思ったが、この日を逃すわけにはいかないと思い、えいやと出かけた。
地下鉄と電車を乗り継いでナンテール市にむかうのだが、公共交通機関はこの日、全て無料で開放されていた。これも驚き。
開演前にフィリップケーヌから開演時間変更に関する謝辞が述べられた。La Melancolie des Dragonは、とてもユニークで、フィリップケーヌはyoutubeでしか見たことがなかったが、やはり面白かった。故障したシトロエンのコンパクトカーとそれにつながれたキャンピングカーが、雪の中立ち往生している。そこに、JAF的なおばちゃんが現れて、車を見るが、直せないので修理チームを呼ぶ。それがくるまで、その車の持ち主である7人のちょっとださめのおっさんのロックバンドが、あの手この手でおばちゃんを持てなしながら時間をつぶすという感じ。キャスティングも絶妙で、かなり笑える。無駄にかっこよかったり、ちょっと怖いイメージを作ったりもするが、意味がないかんじ。あったらごめんなさい。
で、お芝居を堪能した後、Republiqueめざして、市内へ戻る。
Chatelet Les Hallesから歩いて、Republique(共和国広場)に向かう。途中、既に、デモ状態となり、拍手が幾度となくウエーブのようにおきたり、「チャーリー!チャーリー!」とかけ声があがったりする。シャルリじゃなく、チャーリーだった。放水のための鉄の箱みたいなのが、あったりするとそこに、いろんな人がかわりばんこによじ登って、写真をとったりしていた。若い人にとどまらずおっちゃんや、おばちゃんも、一所懸命のぼっていた。道の両脇のアパルトマンからは色んな人バルコニーに顔をだし、写真をとっていた。たまにかけ声をかける人がいた。そのかけ声に呼応して、デモ隊からも拍手や、かけ声などがでる。バルコニーの人は、それでいきなり英雄みたいになるので、嬉しそうだけどちょっと耐えられなくなって一度やると部屋に戻る。あるバルコニーからはイタリア国旗がかけられていた。一時間ほど、進めずその場で、拍手やかけ声、或いは歌が歌われたが、その隊から脱出して、少し迂回しながら共和国広場を目指した。IMG_0516
ようやくついた広場も、ものすごい人で埋め尽くされていた。つい暮れに、Thomasとパスカルについて語り合った広大な広場の地面は1mmも見えなかった。デモ隊はさらに共和国広場からNationにむけて、行進がされていく。広場に入ろうとする人、Nationへ向かおうとする人の、濃密で重く遅い人の動きがあった。
私は、拍手やかけ声をぼそっといったりしていたが、段々疲れがでてきたので、家路についた。広場近辺の地下鉄は当然閉鎖されているので、パリ市立劇場まで歩くことにした。途中パリ市役所に” Paris est Charlie.Nous sommes Charlie”と書かれた横断幕がかかっていて、これも驚く。セーヌの川岸を歩きつつ、歴史の中で自由を切り開いてきた都の蠢きを全身で感じた。IMG_0535 IMG_0534